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二十歳の自分の将来に自信が持てなかった

今でも、あの頃の自分を想い出すと、夢はあっても、自信が持てなかった。
東京での生活は、神永さんや15番教室の仲間たちが、いてくれたら意外、そんなに楽しいものではなかった。琉球大学を休学しての東京生活だったので、結果、国費の試験のため、浪人生活を送る日々。残念だったのは、本当に神永さんとの別れ。国費試験に受かるのは、その年が最後。そして、医学部のみ。そして15名だけ。正直、自信はなかった。結局、落ちて、琉球大学の工学部に復帰した。すぐにフォークソング同好会に加入した。国際通りにあったジャンジャンのステージに立つことが出来た。でもすぐに止めた。そして、家庭教師のアルバイトを始めた。お金がなかった。親からは、年間25万円の学費を出してもらった。あっという間の大学生活だった。その間も神永さんのことを忘れたことはない。会いたかった。ただ医学部を諦めた自分が裏切り者に思えた。それでも当時、神永さんの消息を探した。多分、宮良さんに聞けば、わかるだろうと、宮良さんの弁護士をしている親父さんを訪ね、宮良さんの連絡先を聞いたが、教えてもらえなかった。そのうち、母親の借金で実家を売った。殆どの知り合いとは、それをきっかけに疎遠になってしまった。私が、27歳の頃だ。ただ、恥ずかしがった。自分が勤めている会社にも母親の借金の相手が来ないか、ビクビクしていた。それからの何年間かは、絶望の道を歩んだ。


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